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がんバレー“ジャンプくん”GO!

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第8章 板門店 

8月31日10時22分、板門店に到着。

 緊張感漂う。右手の向こうの方には韓国の旗がなびいている。後方には北朝鮮の旗がポールに巻き付いている。着くと最初に、このあたりの地理上のことについて模型で教えてもらった。なかなか立派な模型で詳しい説明だ。今まで、板門店というものに対して無知であったということがよくわかった。「板門店=停戦会議場」ではない。停戦会議場からお互いに2キロメートルずつの緩衝地帯がある。また、南北を分断する印として(国境)コンクリートがず~っと大地を横断している。その国境は、まっすぐではなく(北緯38度)くねくね曲がっていたのが印象的だった。
 
 次に、車に乗ってキロメートル先の停戦会議場に向かうが、何か起こってはいけないということで、1台の車につき1人の兵隊が同乗する。

 車から降りて案内役ですこし格上の兵隊がいうのには、私が教員であるため興味を持っているのでいろいろ話したいという。そして、同じように、「なぜ北朝鮮に来たのか?」と尋ねてくるのであった。北朝鮮は、我々に疑心暗鬼なのか。
 
 車の中で行っていた金日成主席の直筆を花崗(かこう)岩に彫ってある碑がある。【写真】ここで兵隊さんと記念撮影。そして、停戦会議場前に兵隊が2人。このときは、韓国側からの観光客を停戦会議場に入れているため、北朝鮮側のドアは閉めて兵隊が並んでいるのだ。

いよいよ会議場内に入る。青い建物は国連が建てたもの、白い建物は北朝鮮が建てたもの。【写真1】テレビで見たことがある机や椅子。歴史上の場所への進入。ちょうどマイクを置いてあるところが、北緯38度線。南側には停戦時の参加国の国旗が飾ってあった。この部屋内だけは北側にも南側にも行ける。しかし我々は韓国側のドアから出ることは許されない。(そんなことしたら、射殺されるだろう)
 
 外側から、アメリカ兵が覗(のぞ)き込んでいる。アメリカ兵といっても、ヘルメットには「UN」の文字が記入してある。異様な緊張感と同時に歴史的建物のなかにいるこることを思うとワクワクする。現在、韓国側の観光客が中に入っているので、北朝鮮側の出入り口に北朝鮮兵が立っている。
【写真2】
 
ところで、ここでおもしろい話を聞いた。韓国側の建物で見張っている「UN」マークのアメリカ兵。よ~く見ると韓国人!北朝鮮兵がいうには、アルバイト(パートかもしれない)で雇っているという。【写真3】セコイな(=_=)先ほど覗き込んだアメリカ兵は、アメリカ人ですが、「UN」なのに事実上「USA」。また、両国共に「UN」に加盟している。このあたりに少々‘納得いかない’ところを感じさせる。そう思いませんか?(?_?) 分かってるけど

 (ここで、表記するのはよくないが)韓国もこの前まで軍事国家であったではないか。軍人が大統領を務めていた。今になって、大統領は民間人だがこの前までは、北朝鮮も韓国も軍事国家ではないだろうか。というよりも、やはり両国はあくまでも停戦状態の国同士であるということを認識しなければならない。しかし、統一が一日でも早く行われることを臨んでいるのはいうまでもない。

 次に展望台に上り、韓国側の観光客が50人くらい会議場内に入っていく。【写真4】きっとなかは、芋洗い状態だろう。北朝鮮側から入った観光客は自分を入れて6人。しかし、今度は韓国側から入ってみたい。どのような説明をするか、それが一番興味深いところだ。

次に、この軍事境界線内にある(約1キロ手前)停戦協定調印式場【写真1】へと向かう。

 アメリカはこのときに北朝鮮と停戦協定する上で、北緯38度線上で、しかもテントでやりたいと主張した。その理由は、北緯38度線上であれば、アメリカが負けたことにはならないし、早くやって早く終わりたい(負けたことへの恥ずかしさ)のでテントを主張した。しかし、北朝鮮側はその隣町である開城(ケソン・高麗時代の首都)を23回主張した。結局、この軍事ライン内で、しかも北朝鮮側で5日間のうちに協定調印式場【写真2】をつくり、隣の停戦談判場停戦場では談判(敵対している同士の会談)を435回行ったらしい。お互いのプライドが見え隠れする話しだ。

 しかしこの停戦ライン内にはちゃんと農家の人たちが農作物をつくっている。しかも、何もしゃべらずに・・・。奇妙な光景だった。日本だったたら・・・「こんにちは!板門店に来たんで!まあ気を付けて見なさいよ!」などといいながら会話があってもいいのに・・・・・・・(?_?)

 そして、Rさんは、畑から唐辛子を10本ほど盗んで喜んでいた。家に持って帰るのか?食べるものはやっぱりないのか(;_;)
 11時50分、開城(ケソン)の統一会館で昼食をとる。初日に頼んであったサンゲタンがでてきた。ものすごく美味しいというものではないが、何せ、高麗人参を(顆粒でない)食べたことが嬉しかった。

 12時45分、統一会館横にこんもりとした丘状の山・子男山に行く。山の上には、金日成像があった。【写真1】

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そこから、開城の町並みを眺め、李氏朝鮮当時そのままの町並みと最近の町並みを対比しながら見ることができた。【写真2・3】


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開城の町並みを歩きながら民族ホテル、高麗博物館という名のお寺(高麗・李氏朝鮮当時は儒教の学校であったらしい)、南大門を見て平壌へ帰る。帰る途中、農家の家に寄りたいというと、前もって予約していないから無理だといわれたが、高速道路を走っている途中、止まって家だけ写すのならということで写真を撮った。


 また、車中からの向こう側には鱒(マス)の養殖場がみえる。とにかく、食べ物をどうにかして作り出さなければならないという必死さが感じられた。


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